欠片
夢を見ていた――。自分はこちら側にいて、向こう側の彼の様子をただ見つめていた。
両親や友達と共にいる彼。そして、授業に真剣に聞き入り、サッカーに興じる。笑い時には怒り、泣き…そんな様々な彼に何も干渉出来ず…ただ、見つめていた。
それは古い記憶――もう今では遠い昔である筈の――
――昔って、いつだ? オレは今でも――
その時、何かが固い床の上に落ちた。そして…パリンとそれが割れる軽い音が、した。
(……あ…)
繪委は誰かに呼ばれたように目を覚ました。
最初に見えたのは無機質な天井と蛍光灯、そして白いカーテンで囲われたベッドに彼は横になっていた。そこはすっかり見慣れた保健室だった。
(眠ってたのか…)
途切れていた意識を繋げるように繪委は何度か瞬きを繰り返す。
確か、2時限目の教室移動の時だ。繪委はよろけて北条にぶつかってしまった。
『お前、なんか熱いぜ。顔赤くないか? ゲッ、こんなに熱あるぜ!』
彼の具合が悪いことに気付いた北条に無理矢理保健室に引っ張ってこられ、そのままベッド寝かされてしまったのだった。大丈夫なつもりだったが身体は正直で、繪委の身体は休息を必要としていたらしい。
(どれくらい…寝ていたんだ。それにさっきの――)
繪委は半身を起す。カーテンの仕切りの向こうには人の気配、それはこの部屋の主である保険医だろう。それよりも、彼の目覚めを促したあの音は――と、
「繪委くん? ごめんなさい、起しちゃったかしら」
仕切りの向こうから優しい声がかけられた。そしてカーテンが少し引かれ、この部屋と同じほどに馴染みとなっている保険医の国枝響子が顔を覗かせた。
「いえ、ちょうど起きたところです。…今、何時ですか?」
「お昼過ぎよ。――熱、計っておく?」
ボーっとした頭のまま、繪委は差し出された体温計を受け取り、計る。
「…まだちょっとあるみたいね。お昼食べて薬飲みましょうか」
響子は体温計の数値に心配気に眉根を寄せてる。
「持ってきてあげるわ、待っててね」
「あ、すみません…」
「起きなくていいわよ」
申し訳なさそうに会釈をする繪委に、響子は優しい云葉と笑みで部屋を出ていった。
壁にかかった時計の針は12時を少し回っていた。昼休みに入っている為か、廊下が少し騒がしかった。
(――…誓唯がいなくて良かったな)
繪委の口からはそんな呟きが漏れた。
誓唯は学校にはいない。手足の麻痺の治療の為に定期的に病院に通っているのだが、今日は精密検査の為に寮の管理人に付き添われて大学病院まで出掛けていたからだ。
彼が帰ってくればすぐにわかってしまう事だが、こんな状態の自分を心配させたまま授業を受けさせるよりはずっとマシだった。
繪委は自分の身体の不調には朝から気付いてはいたが、なんとか誤魔化して誓唯を送り出した。静かにしていれば大丈夫かと思っていたが、人間になったばかりで免疫力の弱い彼の身体は、思った通りにならないようだ。
繪委はベッドから出て立ち上がった。少し歩いてみるがまだ足元がフラつく気がした。少し情けない…そう思いもするがこれも繪委が本当に人間になる為の試練なのだとしたら、耐えることなどなんでもなかった。
一息ついて部屋を見回した繪委の目が、響子の机の上に止まる。そこに広げられているハンカチの上に、キラリと光る物――
(あれは……)
そう思った彼が手を伸ばそうとした時、
「起きたのね。食欲はある?」
戻ってきた響子に声をかけられ、繪委は伸ばそうとしていた手を引っ込めた。何事もなかったように振り返る。
「ええ、さっきからお腹なって寝てられないんです」
「そう、じゃあ今お茶を入れるわ。一緒に食べましょう」
「はい。先生みたいな美人となら2倍美味しいです」
「ふふ、煽てたって何も出ないわよ。でも、その様子ならもう少し休めば大丈夫ね」
調子の良い繪委に上機嫌でお茶の用意を始める彼女に、繪委は少し躊躇いながらも訊ねる。
「あの――これ、どうしたんですか?」
「ああ…さっき、コンパクトを落しちゃったの」
それでわかった。繪委の意識を弾いたのは、これの―鏡の―割れる音だったのだ。
「――触っても…いいですか」
「え…? いいけど……指、切らないでね…」
繪委の云葉に訝しそうに答えを返す。彼女が不思議に思うのも無理はない。だが、繪委は構わずそれをハンカチの上から取り上げ目の前にかざした。
「――――」
割れた鏡――その欠片に、切り取られた彼の顔が少し歪んで映っている、そんな気がした。
「もういい? いつまでも持ってると危ないから」
一心に鏡を見つめていた繪委に響子の声がかけられる。我に返り差し出されたハンカチの上に鏡の欠片を戻すと、彼女はそれを丁寧にハンカチで包んだ。
「それ、棄てるんじゃないんですか…?」
単に危険物を処理するには厳重過ぎる…というよりは、大切に扱っているように思える響子の仕種に繪委が訊ねる。
「ああ、これね。庭に埋めるのよ。――どうしてか、わかる?」
繪委の問いに、響子は落ち着いた外見に反して少し茶目っ気のある笑みを浮かべた。もちろん繪委にはわからずに応える代わりに首を傾げる。
「わからない?――実はね、ある物が貰えるのよ」
「…ある――物――」
「そう。とっても素敵な魔法がね」
繪委の驚きなど少しも気付かない様子で、響子は楽し気に告げた。
(繪委の様子がおかしい――)
誓唯がそのことに気付いたのは、二人して寮に戻ってから、しばらく経ってからだった。
繪委のことを訊いた誓唯は、すぐに保健室に駆け付けた。その彼の心配に反して、
『お帰り、誓唯。どうだったんだ?』
聞いていたよりずっと元気そうな様子で、繪委が自分を迎えた。
『――それはこっちの科白だよ、朝から具合が悪かったんだろ。なんで黙ってるんだ』
安堵しつつも、水臭い…と誓唯は文句を云った。繪委の状態を知っていたら出掛けなかった。自分の身体のことなど、繪委が人間になる為に引き換えにした苦痛に比べればなんでもないと彼は本気で思っていたからだ。
『ああ…悪かったよ――』
繪委は素直に謝った。普段なら『大したことないって』と、―強がりにしろ―戯けたように答えるのだが、その声音はからはあまり覇気が感じられなかった。だが、具合が悪いのだから…とそれほど誓唯は気に止めなかった。
しかし、
(なんだか、大人しいな……)
些細な変調だが、誓唯はようやくそのことに気付いた。注意してみれば繪委の全ての反応がおかしい。単に体調が悪いからではない、と思えた。
繪委の本質は自分と違って陽性だと誓唯は知っている。体調が悪い時でも自分のように塞ぎ込んだりはしない筈なのだ。
(何かあったのか…?)
保険医の国枝は何も云ってはいなかったが、現に繪委が沈んでいる。そして、それが誓唯の取り越し苦労でないことはすぐに証明された。
「俺、看病するよ」
当然のように誓唯が申し出るのはいつものこと。
「子供じゃないんだ、いいよ。誓唯だって出掛けてたんだ、疲れてるだろう」
そう繪委が断るのはいつものこと。だが、
「俺のはただの検査だったし、身体もいつもよりマシだから…。消灯までならいいだろ」
そう重ねて云うと、渋々ながらに繪委は頷いた。その表情が何処か寂しそうで…自分の思い過ごしではないと、確信した。
(訊いても…応えないんだろうな…)
それは誓唯にもわかっていた。だからこそ云葉の代わりに、少しでも長く彼の傍にいようと思った。いつも繪委が自分にそうしてくれるように――。
「看病するよ――消灯までならいいだろ」
自分を気遣う誓唯に、すまないと繪委は思った。病院から帰ってくる時の誓唯は、不自由な己の身体の状態を思い知ることになる、そんな時に自分が体調を崩しては…彼に無用な心の負担を感じさせるとわかっていたのに…。
だが、今日ばかりはその云葉に素直に甘えたかった。
傍らで邪魔にならないようにと静かに本を読み耽る…誓唯の存在に見守られながら繪委は目を閉じた。彼の胸を占めているのは、昼間の…響子との会話だった。
『いきなり魔法なんて言い出して、ごめんなさいね。私が小さい頃に好きだった少女物のアニメの話よ』
繪委くんは男の子だから知らないでしょうけど、と響子は笑いながら口にした。
【大事にしていた鏡を割れたことに哀しみ、庭に鏡のお墓を作った彼女の優しさに鏡の国の女王が魔法のコンパクトを授ける。その鏡を向って呪文を唱えるとなりたい相手に変身出来て、様々な困難を解決する…】そんな話だった。
『変身願望って、あるじゃない? 憧れてたのね。それで今でも庭に埋めてるのよ。あ、もちろん本気で思ってるわけじゃ…』
『それで、最後はどうなるんですか…。その、女の子は…』
ノスタルジックに語っている彼女を遮り、繪委はその問い掛けをした。せずにはいられなかった。
『最後? 魔法を使い切ってしまうのよ。それはお父さんや沢山の人を助ける為だったんだけど…、してはいけないこと――だったのかしら…』
『――それは…ルールに違反をした…?』
『さあ…? でも、そうしなくても結果は同じじゃないかしら』
『え…』
こんなたわいもない話に興味を示す繪委に戸惑いつつも、響子の瞳は思案するように上を向く。そして、彼女は真剣に答えてくれた。
『だって――魔法はいつかは解けるものだわ』
『―――』
繪委は微かに唇を引き結ぶ。机に置かれたハンカチ…それに包まれた、欠片を思う。そして、彼女の云葉を噛み締めた。
『そう…ですよね』
静かに、笑みを浮かべて彼はそう答えた。
(いつかは、解ける――)
そうなのかも…しれない――。
自分はかつて流すことも出来なかった…そして、今も流さない。
今の繪委は人間なのだから、そんな戒めに囚われることはないのかもしれない。だが、それを試す気にはならないのは、彼の中に不安があるから――だった。
(オレが涙を流す時があるとしたら、それは誓唯との――)
それ以上の思考を続けることを繪委は止めた。
誰よりも身近で、何よりも大切な存在、その誓唯に打ち明けられない思いを抱え…ゆっくりと繪委は眠りに落ちた。
看病といっても特に何をするわけでもなく、誓唯はただ繪委のベットの傍らに椅子を寄せてついているだけだった。
薬が効いているのか、繪委はすぐに眠りについた。そのことに少し安心する。
時折その寝顔に目を向け、繪委の眠りを確認しては読みかけの本に戻る…そんなことを繰り返しながら穏やかに時間は過ぎていった。
(そろそろ…消灯か…)
時計に目をやった誓唯は部屋を引き上げる時間と気付く。本当はこのまま朝まで看病していたい所だが、そんなことをして自分が体調を崩しては何にもならない。
最後に繪委の熱を計ってから戻ろうと、繪委の額にかかる前髪を払うと誓唯は自らの額をそっと近付けていった。その時―――
不意に目覚めた繪委と、目があった。
「―――っ」
目の前の、誓唯の存在と、その距離の近さに知らずに繪委は息を飲む。しかし、
「ごめん、起したか」
繪委の動揺などまるで気付かずに、誓唯は穏やかな笑みを向けてきた。
「熱、大分下がったみたいだから、俺も部屋に戻るよ」
そう告げて触れた時と同じくらい静かに、誓唯が離れようとした。
「誓唯…っ」
繪委は思わずその腕を掴み引き止めてしまった。
「繪委…?」
「あ…いや――何でも、ない…」
誓唯の問いかけにすぐに我に返り取り繕う。
「どうしたんだ、気分が悪いならもう少し…」
「――いや、本当に何でもない。…こんな時間まで悪かったな」
ようやく落ち着いて、そう応えると誓唯は少し寂しい気な笑みを浮かべた。
「気にするなよ。俺達、兄弟じゃないか」
それは繪委を安心させる為と、自分自身に云い聞かせる為――。だが、今はそれが紛れも無い現実。繪委にも、そう思えた。思いたかった。
「ああ、誓唯――そうだな」」
繪委は力強く頷き、同じように笑みを返した。
(オレはもう神精霊としては…失格なんだろうな――)
灯りの消えた部屋で、繪委は呟く。
心細かった…だからあんな風に誓唯を引き止めてしまった。そんな感情に突き動かされたことも、行動を起したことも…その全てが繪委を戸惑わせた。そして、それが人間―不完全な存在―である証なのだと、繪委に知らしめた。
少しずつ繪委は人間【ヒト】に近付いている。病魔の与える苦痛だけではない、今まで覚えたこともない感情が不意に、本当に不意に生まれる。その実感が、自分の中で感じ取れる――そのことが、嬉しかった。
翌日、繪委は保険医の響子を訪ねた。
「繪委くん、どうしたの? また具合が…」
「いいえ、昨日はありがとうございました」
礼を述べに訪れたのだと手短に告げ、笑顔を向ける繪委を彼女はジッと見つめた。そして、
「うん、元気そうね。帰る時なんだか繪委くんらしくなかったから心配してたけど…」
「すみません、もう大丈夫です」
慈愛の籠った細やかな気遣いが出来る響子は、あの欠片を大切に扱ってくれた。そんな彼女だからこそ繪委は…
「――先生、変なこと訊いていいですか」
唐突な問い掛けに、「何?」というように目で問い首を傾げ、彼女は繪委に続きを促した。
「魔法って……幻ですか」
少し驚いたように響子は目を見開く、だがそれも一瞬。繪委の真剣さを帯びた云葉を感じ取ったのか、彼女は口許を緩め、ゆっくり頭を振った。
「形にならない物が、幻とは限らないわ。――そうね、心と同じ」
「心…?」
「魔法を夢見てた私はもういないけど、あの時の憧れや気持ちは今でも覚えてるし残ってる」
そう話す彼女の表情には、懐かしさ、少しの寂しさ…そして優しさが溢れていた。
「こんなにおばさんになっても熱く語っちゃうぐらいに、それって…やっぱり魔法じゃないかしら」
誤魔化しでも子供宥めるための方便でもなく、響子は心からそう告げていた。
「――そうですよね。オレも、そう思います」
繪委は昨日と同じ云葉で応えた。顔を綻ばせ、まったく違う温かな思いに胸を満たされながら――。
魔法も、心も――形として残りはしないのかもしれない…過ぎた時間を残せないように。それでも今という時が―繪委が誓唯と過ごした時間や想いが―消えることはないのだ。
そのことをずっと、自分は覚えていよう。たとえ、二人の行く先に何が待っているとしても――そう繪委は思った。
Fin.
★これは【うた∽かた好きに6+6のお題】(配布元・空の青海のあを様)から、【5.欠片】をモチーフに書かせて頂いた物です。しかし想像してたよりもおセンチになってしまって、反省中――すみません(__;)。
また、話に出てきてます響子先生(何故この名なのか、わかりますよね♪)が好きなアニメは初代「ひみつのアッコちゃん」です。そしてそのラストですが…。壊れた灯台の代わりにアッコちゃんがコンパクトに光を集め(この為全ての鏡が物を映さなくなります)、嵐の夜を航行する父が船長をする船を助ける…というもの。単純に、コンパクトのキャパを超えてしまったのか…と子供心に思った気がしますが、話の筋とか流れとかはうろ覚えだったりします(ゴメンなさい)。現在、こちらのシリーズのDVDBOXで出てますが確かめる機会はあるのでしょうか(^^;)。
さらに今回の話も含め、「うた∽かた」と魔法少女物の括りで色々と思い出したこともありますので、近いうちに雑記に書き込みますです。ということで、書き逃げ!
鈴蘭
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また、話に出てきてます響子先生(何故この名なのか、わかりますよね♪)が好きなアニメは初代「ひみつのアッコちゃん」です。そしてそのラストですが…。壊れた灯台の代わりにアッコちゃんがコンパクトに光を集め(この為全ての鏡が物を映さなくなります)、嵐の夜を航行する父が船長をする船を助ける…というもの。単純に、コンパクトのキャパを超えてしまったのか…と子供心に思った気がしますが、話の筋とか流れとかはうろ覚えだったりします(ゴメンなさい)。現在、こちらのシリーズのDVDBOXで出てますが確かめる機会はあるのでしょうか(^^;)。
さらに今回の話も含め、「うた∽かた」と魔法少女物の括りで色々と思い出したこともありますので、近いうちに雑記に書き込みますです。ということで、書き逃げ!
鈴蘭