菖蒲

 ゴールデンウィークになると、大半の寮生達は帰省する。しかし、両親が海外赴任で日本に不在の藤堂兄弟は寮に残っていた。その4連休も最終日となり、明日から授業再会を前に寮生達も戻り始めていた。


「誓唯、管理人さんが…」
 いつものようにノックもそこそこにドアを開けた繪委に、机に座っていた誓唯は酷く驚いたように身体を跳ねさせた。
「―――」
「…何だ?」
 沈黙する繪委から、何かを隠すように首だけを巡らしたまま誓唯が訊ねてくる。
「…あ、ああ。管理人さんが柏餅くれたんだ。一緒に食べないかと思って…」
「わかった、後で繪委の部屋に行くよ」
 そう慌てたように云う誓唯は、いかにも繪委に出ていって欲しそうな様子に見える。
「じゃあ、待ってる」
 少し面白くない顔をしながら、そう答えて繪委はドアを閉じた。


 それはほんの、30分ほど前のことだ…。
『今日で休みも終りだな』
 繪委がしみじみと呟いた。昨日や朝よりも格段に増えてきた寮生の数で昼食を取る食堂は賑やかだった。
『なあ、明日の授業…』
 隣の誓唯に呼び掛けた繪委だったが、食堂の付けっぱなしのTVのニュースを何故かジッと見ている彼に何となく口を噤む。画面には各地の祝日の子供達の楽 し気な様子が映し出されている。
『あ…何か、言ったか?』
 視線に気付いたのか、誓唯が振り返った。
『いや、別に大したことじゃない』
『そうか。…俺、先に部屋に戻るよ。繪委はゆっくりしていけよ』
 そう云う誓唯は何だかソワソワしたように立ち上がった。
『――わかった』
 多少は訝しく思ったものの、素直にその背中を見送った。誓唯が敢えてそう断って云ったということは、繪委についてきて欲しくないからだろう。
 食事を終えて自室に戻っていく寮生達を後目に、仕方なく繪委は食堂で時間を潰した後に立ち上がった。すると、
『繪委くん』
 その彼を呼び止めたのは、寮の管理人だった。
『はい、なんですか?』
『これ、二人で食べるといい』
 そういって差し出してくれたのは、パックに入った柏餅だった。
『え、でも――』
『みんなには内緒なんだから、早く持っていきなさい』
 戸惑う繪委に、管理人は人の良さそうな細い眼を一層細めて彼の手にパックを握らせた。他の寮生のように帰省しなかった二人への心遣いだったのだろう。


(せっかく良い口実が出来たと思ったのに…)
 柏餅を前に頬杖をつき、すぐに追い払われ(?)てしまったことを繪委は一人ごちる。
(――誓唯、何を隠したんだろう…)
 さっきといい、今といい、誓唯の態度が変だった…。朝までは普通だったのに。彼が自分に隠しごとをしていると思うと、それだけで繪委は何となく落ち着か ない気分になった。鏡の中から彼を見守っていた時は、繪委はそれこそ全てを知っていたから、その時の感覚が未だに抜けない。
 繪委は人間となって生身の身体を手に入れた。それは本当に嬉しい。だが、代わりに誓唯といつも一緒というわけにはいかなくなったし、彼の経験を共有する ことが出来なくなった。
(――情けない、こんな弱音…)
 それは人であれば当然のことだ。それに、誓唯の全てを知らなくとも、出来ることは幾らでもある筈だ。
 トントン、というノックの音が繪委を物思いから現実に引き戻す。誓唯が来たのだろう。
「開いてる!」
 すぐにそう呼び掛けたが、誓唯は一向に入ってくる気配がない。
「誓唯…?」
 訝しく思って繪委がドアを開けに行くと、誓唯はドアの前で両手を後ろに回し、少し悪戯めかした笑みで立っていた。
「入っていいか?」
「ああ、もちろん!」
 招き入れた誓唯はやはり後ろに何かを隠しているようだった。そして、
「繪委、ちょっと目を瞑れよ」
「え…、何で?」
「いいからさ」
 そう云って急かす誓唯に、繪委は戸惑いつつも目を閉じる。と、パサ…と頭に乗せられる軽い感触に思わず目を開き、壁にかかっている鏡を見る。
「これって――」
 それは、新聞紙で作られた兜だった。いかにも急ごしらえらしくあちこちイビツではあったけれど、それは間違いなく武士達が合戦の時に被っていた兜と呼ば れる形状を模していた。
「端午の節句は健康を願う男の子の祝いだろ。さっきTV見てて子供の頃のこと思い出して、なんかさ…。鯉のぼりも武者人形もないけど、気分だけでも出るだ ろ」
「…じゃあさっき――これを作ってたのか?」
「ああ、別に隠すほどの物でもないけど…」
 そう云って誓唯は照れ臭そうに笑った。
「誓唯…」
 最近は少しずつ免疫が出来てきたが、すぐに様々な病気にかかり、体調を崩してばかりいる自分の為に誓唯が――。 
「もっと上手く作れれば良かったんだけど、ごめんな」
(そんなこと、ない…)
 繪委は心の中で呟いた。不自由な手をおして誓唯はこれを作ったのだ。かつて―試しを受ける以前の―彼の細くてしなやかな指先が、その手がどれほど器用に 動いていたかを繪委は知っている。なのに、今の彼は手足を襲う痛みと麻痺で大好きなサッカーも出来なくなって、それどころか実生活においても不自由を強い られている。それなのに…。
「繪委…? やっぱり、下らなかったかな…」
 黙ってしまった繪委に誓唯が不安そうに呼び掛けてくる。
「バカ。すっげぇ、嬉しいよ!」
 繪委はそう云って誓唯に満面の笑みを向けた。
「ホント、嬉しいんだ。こんなこと初めてだから」
「そんなに大袈裟に喜ばれると、逆に嘘臭いな」
 呆れたように云い乍ら、誓唯も嬉しそうに眼を細めた。

「甘いけど、ちょっと苦いな」
 頭に兜を載せたまま柏餅を口に頬張る繪委に、可笑しそうに誓唯が答える。
「葉っぱごと食べるからだろ」
 二人が背にしている窓の外には澄み切った五月晴れの空が広がり、光に満ちた薫風が吹きわたっていた。
 それは誓唯と繪委が初めて二人で迎えた、五月五日のほんの一時――。


 子供の日は、武者人形を飾り、鯉のぼりを立ててちまきや柏餅を食べる…主に男児の祝いとされる端午の節句にちなんで制定された。そして、誓唯と繪委が暮 す寮の庭先には、ひっそりと菖蒲が差してある。それは多くの子供達を預かる管理人が気を利かせて差したものだ。
 古くから邪気を払うとされる菖蒲――それゆえに端午の節句は、菖蒲の節句とも呼ばれる。

Fin.

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